「オタクはすでにしんでいる」 

オタクはすでに死んでいる (新潮新書)

オタクはすでに死んでいる (新潮新書)

過激なタイトルですが、別に今のオタクを批判的に書いているわけではなく、純粋に岡田さんの中でのオタクという共通概念、連帯感は無くなってしまいましたよ、という話のように読めました。思えば自分も、ほんの5,6年前までは


「世の中にはどうしてこんなに面白い作品(アニメ・漫画)が溢れているのに世間の人間は観もしないでバカにするんだろう。アホじゃないか。これを偏見無く当たり前に楽しめるような世の中になったら日本の文化レベルはすごく高くなるんじゃなかろうか!」

なんて青臭いことを考えて、一生懸命これは面白いあれは面白いと周りに力説していましたが、そんな情熱も今はすっかり冷めて(そもそも痛々しいというところは敢えてスルーで)


「なんかもうみんな好き勝手に楽しんでるし、俺も好き勝手に楽しむ。分からん奴は別に分からんままでいいよ」

というスタンスに特に意識したわけでもないですがいつの間にかなっています。
それは、自分の周りが一生懸命これはこう面白いから観もせずに批判するんじゃないよ!と叫ばなくても生きやすい空気になったからで、アニメとかあまり興味が無い人であれば、「私は良く知らないけど好きならいんじゃない?」というスタンスでいる人が確実に多くなったし、今までアニメを知らなかった人でも「おぉこのアニメ面白いな。続きどうなるんよ!?続きは!?」と、偏見無く楽しめる人が確実に多くなったように感じます。
たぶんそれが自分の周りだけじゃなくて日本全国的にそうなってきてるということなんでしょうね。


しかし、だからこそ、例えばハリウッド映画はごくごく当たり前の娯楽作品として一般大衆に受け入れられていますが、別に映画が好きだというだけでものすごい連帯感を感じることができるわけでは無いように、アニメとか漫画とかミリタリーとか鉄道とかが好きだというだけでは簡単に連帯感(オタクという集合体としての意識)が生まれないようになってきた。別に自分にエリート意識を持ってるとかそういうのでは無く、純粋な実感としてこれは共感できます。実際、岡田さんがオタク第1世代〜第3世代とか本書の中で頑張って分類されていますが、んん〜微妙に自分とは当てはまらないなぁとか思い、次にもうそう思ってしまう時点でもうオタクってものをひとくくりに分類できなくなってしまっているということなのかも知れないと考えてしまったり。


だからオタクは死んだ、なのかなと。そんな風に自分は解釈しました。

また10年、20年後の時代に生きている自分がこれを読むと面白そうです。