フィクションから現実に、あと想像から創造に「文学少女シリーズ」

アニメとか小説とか漫画とか、消費することが楽しすぎてただひたすら消費ばかりしていると、だんだん食傷気味になってくるといいますか、いつの間にか楽しかったものが楽しくなくなって、自発的な衝動だったものが義務的な衝動に変わって、しかもそんな自分の変化に気づければまだいいのですが、気付けないでただ消費し続けて、本来自分の価値観を広めてくれるはずの作品たちが、逆に価値観を狭めていって日常もどんどんつまらなくなっていく。
そんな中毒症状みたくなってくることって結構ある気がします。周りを見ても、自分を顧みても。


文学少女シリーズはその見事なカウンターパンチといいますか、遠子先輩がそりゃあもう気持ちよく僕らを現実の世界へいざなってくれるわけです。
で、また悩んだり躓いたりしたら少し手を休めて本を読んでみて、と。現実を生きるための糧は夜空に輝く星のようにあなたの周りに広がっているわ、と。そんな健全な消費のあり方を優しく示してくれるわけです。

1つの作品が終わってしまうと、その作品の世界にもう浸ることが出来ないという事実と、自分が今まで浸っていた世界と現実の世界の自分とのギャップにとんでもない虚無感を覚えたりすることがままありますが、この作品はそんなことを微塵も感じさせません。

むしろ、作品を消費するという行為に新しい視点を与えて、その行為の価値を一段高めてくれた気さえします。少し目線を変えるだけで作品はいくらでも色を変えるし、現実の色も変えてくれるわけです。そして、色が変わった現実の中で培った自分が、さらに消費する作品の色を変えていってどんどん世界が広がっていく。そんな感覚をフィクションの中でフィクションを消費することによって仮想体験させてくれるのが堪らんかったです。


こういう、消費し終わった後に現実を生きる力が湧いてくるようなメッセージが込められてる作品はなかなか出会えませんが(自分としてはエヴァ劇場版とか。逆襲のシャアとか。働きマンとか。時をかける少女とか。エトセトラエトセトラ)、文学少女シリーズは、遠子先輩を始めとするフィクションたちが多角的にフィクションを消費して、それを糧に一つ一つ自分を乗り越えて現実を生きていくことを見せることによってそれを成し遂げているところが逆説的でうまいです。


さらには、そこら辺の消費することから現実へ向かうことへの話では終わらずに、物語の創造への衝動も踏み込んでいったのはただただすごいなぁ、と。そんな感じです。


いやぁ楽しい作品でした。




ただ、蛇足とは承知でこれだけは言わせていただきたい。
どう考えても遠子先輩より琴吹さんです。本当にありがとうございました。